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2017.05.25
文芸学部 大谷節子
チェコで、チェコ人による、チェコ人のための、チェコ語狂言が、着実に根を下ろしつつある。狂言は六五〇年以前から続く日本の古典演劇であるが、チェコ語に翻訳されたテキストに基づいて、チェコ人によって演じられている狂言の公演回数は、五〇〇回を超えている。チェコの人々にとって狂言は、ある意味で日本以上に身近な存在になっているといえる。チェコにおける狂言受容は、舞台鑑賞に留まるものではない。狂言を習う層は子供から大人まで幅広く、チェコ人の狂言への関心の強さが一過性のものではないことを示している。遠く離れた中欧の一つの国で、日本の古典演劇、古典芸能が享受され、浸透する現況を分析することは、現代世界における古典の持つ意味、狂言という喜劇が持つ本質を考えることでもある。
今回は、Univerzita Karlova v Praze(カレル大学?プラハ)、Masarykova Univerzita(マサリク大学?ブルノ)及びチェコ国立ヤナーチェク芸術大学(ブルノ)の哲学芸術学部の日本の古典学研究者、演劇学研究者と交流し、チェコ語狂言の中核を担う役者たちの拠点、及びチェコ語狂言の稽古現場を訪ね、狂言を習う人々への聞書調査を行なった。
現代の中欧社会において、日本の古典劇である狂言はどのように伝承されているのか、また、現代のチェコの人々にとって、狂言を鑑賞し、狂言を自ら演じることが、どのような意味を持っているのか。そのことを考察する中で、現在チェコで狂言が享受されているについては、様々な歴史的必然と、幾分かの偶然の作用が働いていることが次第にわかってきた。
六百五十年以前から現代に至るまで演じられ続けてきた古典劇が持つ力は、その普遍的テーマ性にのみ還元されるものではない。現代西洋社会から時空間共に遠く離れた極東の古典喜劇である狂言が、チェコの文化の一つとして根付こうとしている状況を考察することは、極めてlocalな存在が、global社会において発揮される価値とは何かを考えることになるであろう。