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現代社会の変化と法律学のチャレンジ

町村 泰貴 教授
法学部 法律学科
専門分野:民事法学

法律学の伝統

 法律学は、2000年以上の歴史を背負って成り立っています。

 よく、明治時代に作られた法律が今でも適用されているといっては驚かれますが、明治時代どころか、紀元前の古代ローマ時代にできた法原理が、今、現代日本の民法にも色濃く残っています。民法の権利能力という考え方とか、未成年者は契約締結の能力が制限されるとか、所有権とか占有権とか、担保責任とか、不当利得とか、ローマ法由来の法概念を数え上げればきりがないくらいです。

 そうした古い、伝統的な法律の世界は、現代社会に果たして役に立つのでしょうか? 古代ローマ人が現代社会にやってきたらどうなるかというのは、ヤマザキマリさんのベストセラー漫画『テルマエ?ロマエ』で描かれたところですが、古代ローマ人の生み出した「法」の概念は、中世から近代を経て明治時代の日本人に伝えられました。現代の日本の法律も、基本的な枠組みはそうした長い歴史と伝統の所産です。その伝統的法律は、デジタル社会といわれる現代、あるいは科学技術の発達によって人間を凌駕するかのような人工知能(AI)が現れたり、生殖や性別といった人間の原初的な形にも大きな変化が現れている現代社会において、どのような形に変わっているのでしょうか? あるいは変わっていないのでしょうか? ここが法律学の興味の尽きないところです。

デジタル?ネットワークの影響

 テクノロジーの進歩が私達の社会と生活に大きな影響を与えていることは言うまでもありません。とりわけコンピュータや情報ネットワークの進歩と影響力は目覚ましく、仕事やコミュニケーションだけでなく、消費生活もオンラインで行われています。

 個人の生活のみならず、産業も、IoTやAIロボットが導入されてオンライン化されています。農業や漁業といった第一次産業でも、アナログなイメージがありますが、人気ドラマの「下町ロケット」で取り上げられたように、開墾から植え付け、刈り取りまでGPSとネットワーク経由のコントロールによって自動的に行う無人トラクターがあります。天候等の条件に即した温度管理や農薬管理などの微妙なさじ加減も、これまでは職人的な経験によってしかできませんでしたが、コンピュータ制御を取り入れることで誰でもできるようになりました。このことがさらに高水準化と省力化とを実現しています。

社会の基盤としてのネットワークの法的保護

 こうしたテクノロジーの進歩は、法律の世界にも大きな影響を与えています。

 まず、デジタル?ネットワークは私たちの生活のインフラとなってきましたから、それを法的に保護する必要性もまた高くなります。そうすると、インフラを破壊する行為や、ネットワークを不正に使用する行為を禁止して、罰則を設ける必要がでてきます。その結果、コンピュータ?ウィルス罪とか不正アクセス禁止法といったセキュリティ関連法が近年多く作られてきました。

個人情報の保護と利活用

 また個人情報も、デジタル社会以前はそれほど神経質になる必要のないものでした。個人の氏名や連絡先はどこにでも伝えていたし、名簿も作られていました。学校のクラスにはかならず電話連絡網が用意され、クラスメートの親と電話番号がクラス全員に知らされていました。プライバシーという概念は前からありましたが、そっとしておいてもらう権利という理解とか、あるいは人に知られたくないことを知られないでおく権利といった理解が一般的で、それ以上のものではありませんでした。

 ところが、情報がデジタル化され、ネットワークから様々な個人に関する情報が集められるようになると、個人のプライベートな部分、家族構成とか生活の履歴とか日々の行動履歴とか、趣味趣向はもちろんどのような本を読みどのようなメディア?コンテンツを楽しんでいるかなど、あらゆる事柄が集約されます。その中には、政治的な主義主張に関わる事柄も含まれるでしょうし、健康面や医療情報など、更には遺伝情報も含まれるかもしれません。それらの情報は、例えば携帯端末のGPSによる位置情報とか通信ログのように勝手に取られているものもあれば、SNSの利用などのように自ら差し出しているものもあります。

 こうした情報の取得と利用を野放しにしていると、一方ではターゲティング広告のように消費者にとって便利な情報が得られるメリットもありますが、他方では知らないところで自分の行動が分析されて、例えば就職活動をしているときに企業の内定をもらっても辞退する可能性が高いといった判定がされているかもしれません。遺伝子的な分析を自由にできるようにしていると、勝手にとられた遺伝情報に基づく確率計算から生命保険の保険料が高く設定されたり、極端な場合は加入を拒否されることにもつながります。これは欧州では差別として禁止されていますが、日本では規制されていません。

 SNSの行動履歴などから有権者の政治的傾向や選挙行動をプロファイルすることを自由にさせていると、それを使って効果的な選挙戦術が追求されることもあり得ます。個々の有権者の関心に応じて、その人の気に入りそうな政策はアピールしつつ、不都合な政策はなるべく隠すといったことが個人単位でできるようになるかもしれません。アマゾンなどで出てくるレコメンドが、選挙時には候補者のレコメンドを始めるかもしれません。アメリカでは、すでにオバマ大統領の時代からネットやSNSを駆使した選挙戦術で当選を果たしたと言われていますし、トランプ大統領の下では、フェイクニュースなどの情報操作が選挙に与える影響が深刻な問題となっています。

 こういう社会では、プライバシー情報の価値が高くなり、保護される必要が強く意識されるようになります。そうやってできたのが個人情報保護法ですが、これにはしばしば問題が噴出しています。一方では学校のクラスから電話連絡網がなくなるほどに個人情報を保護する方向に社会が動きました。しかし他方では、ターゲティング広告やプロファイルは密かに進行し、個人情報の利活用による産業革命が唱えられています。そして、その利活用が行き過ぎた例として、学生の就職情報サービス会社が、学生に無断で個々の学生のネット閲覧記録を分析し、特定の学生の辞退率を希望する企業に売り渡していた問題は記憶に新しいところです。